君が為

嘘つきは 泥棒になると 言いながら 君が為だと 嘘も方便

毎年繰り返される、卒業式や入学式での国旗掲揚・国歌斉唱時に起立をしなかった先生の処分問題。今年からあんなばかげたことはしなくなったのかと思っていたら、今日(4月18日)の朝日新聞の朝刊に、この件に関する記事が載っていた。式を欠席したり、処分を恐れて、仕方なく起立している先生が多く、強制に対し反発があることが書かれていた。
日の丸と君が代が国旗と国歌になるとして、国旗・国歌法が提出された時に、当事の小渕首相が「国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」と言っている。その時は、国旗掲揚や国歌斉唱など行なわない学校も沢山あったし、また、それをしても、その時に起立をしなくても多分、処分はされなかったはずです。
それが今は、どの学校でも国旗掲揚と国歌斉唱が行なわれ、しかも、国歌斉唱のときに起立しなかった先生は、獄門磔みたいに犯罪者扱い。どこでどうなったのだろう。起立しないと処分なんて、全くのナンセンスだし、国旗・国歌法にも起立をしなければ罰則されるとも書いていないはずだ。
また、法制化当事、“君が代”の“君”は天皇ではなく国民の事をさしているのだというような、ちんぷんかんぷんな説を唱えるアホ評論家まで出てきた。
君が代は、明治時代に海外との付き合いで、国歌がないと不具合であるとの進言を受けて作られたものであり、1876年(明治9年)に軍務局長上申書である「陛下奉祝ノ楽譜改正相成度之儀ニ付上申」が施工され国歌としての「君が代」が改訂。11月3日の天長節にて初めて公に披露された(Wikipediaより)。
『君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひぬるかな』なんていう恋の歌にあるような君となんかとぜんぜん違う。それに、明治時代の『富国強兵』なんていう時代に国民の事を思った歌を国歌にするわけが無い。こういうアホ評論家はいつの時代にもいるもんですが。
テレビのCMで、帰ろうとしているOLに残業用の書類を渡し『君の為だから』と、また、喫茶店でその女性がダイエット中だからと、他の女性が『あなたの為だから』とそのこの分のケーキを食べてしまう。というのがある。外為のCMだが、その押し付けがましさと外為の『為』を言うだけの為の軽さのギャップがあって、私の好きなCMだ。(但し、外為の売買には全く手が出せないし、やる気もありませんが。)
国家というのは、暴力団を取締まる為だとか、道路の円滑な流れを阻害しない為だとか、法律を作るときは国民の為だと言っておいて、結局は自分たちに都合の悪い行動をする国民を取締る目的に利用する。
嘘つきは泥棒の始まりだから、嘘はつかないように、と子どもたちに言っておきながら、一方では、嘘も方便などと言う都合のよい言葉を使って、裏で舌を出している。
こんな大人たちを見ていると、子どもたちは言うだろう「そんな政治家に私はなりたい。」・・・!?