もんじゃ焼き

下町の ガキのおやつの もんじゃ焼き ガキがもじとは 言うわけがない

昨日ある人の送別会の3次会でお好み焼き屋でもんじゃ焼きを食べた。もんじゃ焼きの語源は、子どもに文字(もじ)を教えながら食べたから、もじ焼き。それがなまって“もんじ焼き”から”もんじゃ焼き”になったと言う。こんな説はデタラメとしか思えない。私たち団塊の世代の下町のガキが、食べる時に字など教わりながら食べるものか。それに字の事を文字などとしゃれて言う奴などいない。“じ”か“じぃ”だ。また、その頃は、何人も子どもがいて、一人っ子の家庭は少なかった、それに、電気炊飯器も電気掃除機も電気洗濯機もなかった。母親は忙しくて、子どもともんじゃ焼きなどしている暇などなかった。それに、もし文字を教えるとしても、反対側から逆さまに字を書くことになる。例えば平仮名で「あめ」とか「さち」とか書いてみれば分かるが、大変に難しい。
語源については、分かりませんが、私の住んでいた所では、子どもの頃「ぼった」と言っていました。多分、粉が薄くて小さなへら(はがし)からぼたぼた垂れ落ちるので「ぼった」と言ったのではないかと思われます。「もんじゃ」という言葉を初めて聞いたとき、子ども心に「なんじゃもんじゃ」という言葉が浮かんだのを覚えている。
今は大人の食べ物として定着しているが、その食べ方の汚らしさは何なのだと思う。私はその焼き方を見ると、思わず心の中で“ゲロもんじゃ”と言ってしまう。食べ終わった後のお皿と大きなへら、そして鉄板の汚さ。私たちが子どもの頃の方がもっときれいに食べた。小さなへらだけ使って食べるだけの分量を取り、大きなへらで汚らしく混ぜたりしなかった。
あの焼き方では、もんじゃ焼きのあのどろどろの本体とその後に鉄板に出来るおせんべとの2つの楽しみ方があるのに、おせんべのうまさが分からない。もったいない。