最後です

つれづれに怪し狂おし百のネタ返り見すれば冷や汗ダク駄句
よくもまあ百も書いたもんです。自分でも感心?します。それにしても、見返してみると教養と素養のなさが一目瞭然、冷や汗が噴き出てきます。
これから暇があっても、暇は多分いっぱいありますが、もうこんな恥ずかしい駄句を作って人様の目に触れるようなことはいたしません。
今の世に狂歌なんかは流行りません。作る人もほとんどいないでしょう。スマートフォンスマホ、ミスタードウナッツがミスド、男が女に変換したような短縮形。
こんな短縮形の世の中で、一七文字で即興のきく川柳は流行りますが、後の七+七をひねり出す狂歌なんか面倒くさいし、ひねくり出すには時間も掛かります。時代に逆行しています。
出るまでにきょうか明日かとひねくるがポンとでてくりゃ何もせんりゅう 川柳が何もしなくても自然に出てくるというわけではありません。独特の技法もあり、隠した意図やうがちがあり、人間観察も行き届いて、とても面白く、庶民の機知が存分に発揮でき、しかも誰でも手軽に表現することができるので、私も大好きです。
寝ていてもうちわの動く親心 なんてのは母親の愛情の深さが下手な俳句よりよっぽど心打ちます。
雷をまねて腹掛けやっとさせ 
なんていうのは、夏の暑い日に、元気な男の子が行水か何かで裸になって大喜びで走り回っている姿が目に浮かんできます。
清盛の医者は裸で脈をとり こんなうがった見かたも笑えます。


最後に、こんなのも作りました。
今日からは興味を広げ教養を強化すべくと経典を読む   恥の上塗りでした。
こんなつまらないブログを読んでくださった奇特な方々、さようなら。これでこのブログも終わります。
きょうかから川柳にします。
教養も素養も無く恥書くを気付き狂歌ら何も川柳   またまた恥の上塗りでした。

めいさい

料金の各種めいさい問うでんわ黒く塗らぬがようりょうは得ず
東電の請求の明細書を見て、太陽光促進付加金として1kwhあたり3銭と明記してあるのですが、電源開発促進税についてはどこにも書かれていないので、東電に電話で問うてみました。
電源開発促進税は東電が国に払う税金で1kwhにつき37.5銭支払っているとのことです。その料金は基本料金に含まれているはずですが、頑なに『東京電力が国に払っている税金です』の一点張りでした。
何故、太陽光促進付加金については明記されているのに、電源開発促進税は明記されず基本料金の中に入れられているのか。また、電源開発促進税という税金を払わされ、しかもその分に対しての消費税も払わされていのは、税の二重取りになるのではないか、とさらに聞くと、電話で応答しているのが若い女の子ですから、その点については、納得のいく説明はいただけませんでした。
明細は迷彩をかけ請求し


以前に衆院の科学技術・イノベーション推進特別委員会が東電に対し、過酷事故の手順書を提出するよう要請したが、知的財産が含まれるだの安全確保・核物質防護上の問題が生じるおそれがあるだの言って、大半が黒塗りの手順書を提出している。あれだけの世界的に衝撃を与え、国民に対し未曽有の災害をもたらした事故を起こしながら、全く反省なし。開いた口がふさがらず、ご飯が食べにくかった。
九州電力では、“やらせメール”問題でも全く反省なし。第三者委員会の調査結果を、自分の都合の好い所だけ取り込んだ報告書を出した。電力会社ってのは何でも自分の都合の良いように世の中が動くと思っているのだろう。あれだけの事故を起こしながら、会社を存続させるためのスキーム作りを国が一所懸命してくれるのだから、そう思うのも無理はないが。
料金設定は総括原価方式で、経費に何%か上乗せして料金設定できる。何にいくら使おうとその経費に上乗せ出来るのだから利益が出るし、逆に、沢山無駄遣いをした方が多くの利益金が出るという構造になっているんだからたまらない。経営にとっては涎が出そうな、おいしい制度だ。


天下りは50人だろうが100人だろうが、どうぞどうぞ。その給料が5億だろうが10億になろうがどうぞどうぞ。ついでに政治資金集めのパーティー券など何枚でもどうぞどうぞ。その分利用者からふんだくりゃいいんですから、楽なもんですよ。
町の寄付金に50億だろうが100億だろうが、原発さえ稼働させていただければいくらでもお支払いいたします。料金に上乗せすればいいんですから。それに、こちらの利益額も増えますんで。
先日は、過去10年間に6,000億円も原価を多く見積もって、その分も上乗せして料金を多くふんだくっていたのがバレてしまいましたけど。
今は、原発を再開しなければ、電気料金が15%値上げになると脅してるんですけど。うまくいったら、また、天下りだろうが、パーティー券だろうが、寄付だろうが思いのままですから。官僚様、政治家様、首長様。

原子力村の住民同士が力を合わせれば、何でもできますから。

理由あり商品

理由ありの安さに引かれ恵比寿顔使ってみれば閻魔の顔に
先日、『理由(わけ)あり』と書いてあり、安かったので買って帰り使ってみたら、やはりそれなりの理由がありました。使いにくいのです。
“安物買いの銭失い”ということわざが頭に浮かびましたが、工夫して使えば十分に使えるので、何とか使っています。工夫しながら使うのもまた楽しいものです。負け惜しみかもしれませんが。理由ありの場合は、その理由が分かってから買うべきでした。
今までも、理由あり商品を買っていましたが、考えてみれば食品ばかりでした。それも、賞味期限ぎりぎりで安くなったという、理由がはっきりしたものでした。
賞味期限なんか1年や2年過ぎても、まったく問題ない食品も多いし、口に入れれば、食べられるか食べられないか分かりますので、ほとんど失敗はありませんでしたから。
使ってみて、すぐにこんな川柳が思い浮かびました、
理由ありを使ってみたら理由が知れ 
理由ありの理由すぐに知れるなり

※借りる時の恵比須顔、返す時の閻魔顔。(恵比須顔を地蔵顔や仏顔というのもあります)

政治家の口

政治家は解体されたマグロかま口先ばかりでさくは何もなし
最近は、スーパーでもマグロの解体で客を集めたりしている。頭と骨の部分を残し鮮やかに切り分け、身はさくにしていく。残った頭の部分かまには、とてもおいしいほほ肉やひれの部分もあるが、それを取り除くとほとんど口だけになる。何か政治家に似ているように思えて仕方がない。
どじょう内閣は震災の復興費を増税ですべて賄おうという魂胆。金魚みたいに目立たないからと、やりたい放題。聞いた話だと、水族館で肉食の魚類の餌に金魚ではなくどじょうをあげている。本当は安い金魚をあげたいが、お客さんが可哀そうだと非難するので、高いどじょうを餌にしているとのことだ。見た目に騙されないようにすることが肝心だ。
それにしても、20%削減するといった公務員の高い給料ベースはそのまま(若干下げるようにはしているようだが)。居ても居なくてもいいような国会議員の定数も減らさず、企業献金を止めるからと国民からふんだくった政党助成金も臆面もなく取りっぱなし。鳴り物入りで喧伝された天下り法人の削減も手つかず。
税金を上げる前にやる事が一杯あるだろうに。
『次の世代に負担を残さない』なんて恰好のいいこと言っているが、今ある原発を廃棄処分した後の処理には、次の世代どころか、次の次の次のずうっと後の世代まで負担を負わせているのに。
あの大災害から半年以上たっているというのに、瓦礫の処理もままならず、復興についてのグランドデザインどころか、何も決待っていない様子。援助の手も行き渡っていない所まで有るということだ。
原発事故についても、除染もせずに一部地域の避難を解除。安全なら国会をそこで開けばぁ。
仕分けで中止になったにも拘らず、朝霞の公務員住宅は工事が始まった。まるで官僚の言うがまま。少しは自分の頭で考え、行動してみたら。言い訳ばかりうまくならずに。
テレビなんかでの討論を聞くと、いっぱしのことを言っているのに、いざ実行となると、平気で前言を翻し、適当な論理を組み立てる。
本当に策は無く口ばっかり。
江戸っ子は五月の空の吹き流し口先ばかりで腸(はらわた)はなし
江戸っ子っていうのは、口ではポンポン悪態をついても、腹の中はきれいでさっぱりしていて根に持たない、ちょっとおせっかいでおっちょこちょいだけど気のいい奴、という事なんだけど。政治家はねー。

他人が見えない

両肘を曲げて顔伏せ胃まで曲げ苦しげに喰らう丼の味
「飯疏食飲水曲肱而枕之楽亦在其中」(疏食(そし)を喰らい水を飲み、肘を曲げてこれを枕にする。楽しみまたその中にあり)。論語の中の言葉です。粗食で枕も無いくらい貧しくても、楽しみはあることを言っています。貧乏であることにいじけず、顔をあげていて人間としての尊厳もあり何となく風流でもありますよね。
丼屋に入ったら、両肘をついて右手に箸を持ち左手は丼に手を添えているが持ち上げない。顔は丼の中に半分埋まっている。丼を置いてあるカウンターはあまり高くないので、当然体はくの字に曲がったまま。よくあれで食べられるものと感心した。まあ、食べるといいうよりも“かっ喰らう”という感じだが。それに、あれだけ背中を丸めたまま食べて、よくごはんが喉を通るものだ。胃だって曲がって圧迫されているだろうし、痛くならないのだろうか。風流と全く対極にある姿です。
最近あまり外食をしていませんが、マナーというか、他人と一緒に食事をする店での常識的なことが、かなりおろそかになっているように思う。
食事中に平気で携帯電話で話していたりメールをしたりして、なかなか食事が終わらなかったり、食べ終わっても自分の用事が終わるまで席を立たないでいる。空いている時ならまだしも、後ろに何人も並んでいるのに。
隣や前に人がいようが口を開けたままクチャクチャと大きな音を立てて食べる。食べ終わった後も大口を見せたまま、シーハーシーハーと大きな音を立てて楊枝を使う。
こんなのを見ていたら、食事がまずくなってしまう。まあ、自分が行っているのは安い食事処なのでその程度の味なのかもしれませんが。
それにしても……。
特に最近は、食事の時だけでなく、混雑していて後ろに人が並んでいても、まったく気にする素振りすらない。ゴーイングマイウェイというか鈍感というか。ああいう人は、自分が並んで待たされても平気なのだろうか。
切符を買う時や、ひどい時には電車のドアが開いているのに降りずに真ん中で携帯を見つめて動かない。降りる人も乗る人も迷惑してるのに平気の平左。階段でも携帯をいじりながらノロノロ歩く。後ろから突き落としたい衝動に駆られる。他人が全く見えていないのだろう。
こういう人はあまり他人のいないところに住んだ方が良いのでは。電車のドアが開こうが閉まろうが、乗客がいなければ迷惑も掛からないし、いくらゆっくり歩いても階段から突き落とされる心配もないし。

心の弱さ

動けども動けどもなお我が体元に戻らじぢっと腹見る
年齢のせいだか何だか知らないが、暇だからか!、最近急に太ってしまった。ズボン(今はパンツというらしい)のボタンが閉まらなくなってきた。無理に閉めるとウエストの部分が腹の皮に押されてひっくり返ってくる。パンツのゴムも腹に食い込んでくる。
仕方なく、家の中で柔軟体操や四股を踏んだり、腕立て伏せをしたり、腹筋運動をしたりしているが一向に効果が表れない。まあ、30分も動いてないのだから当たり前かもしれませんが。
隠せども腹にでにけりわが体型何食べてたと人の問うまで
野菜や魚が中心で肉ははそんなに食べないし、食べる量も少ないのだが。やはり、この暑さで暇なものだから、晩酌だけでなく、そのまま寝るまで飲み続けているのが原因なのだろう。分かってはいるのですが……。人間って弱いものですね。
自分が弱いのであるのに、他人様まで弱いものだと思ってしまう。これが本当の弱さなんですね。こんなことも頭の中では理解しているのですがね〜。

※はたらけどはたらけど猶わがくらし楽にならざりぢつと手を見る  『一握の砂』石川啄木
※忍ぶれど色に出にけりわが恋は物や思ふと人の問ふまで  『小倉百人一首平兼盛